2016年3月26日

X線天文衛星ひとみはなぜ失敗したのか? -「当たり前」を軽視した結果起きた最悪の結末


概要

2016年3月、本格運用開始直後に異常回転により破壊されたX線天文衛星ひとみ。2020年の後継機打ち上げに向けての開発が進められる中、その事故の原因と顛末をまとめます。

分野 大型科学プロジェクトの失敗
関係機関 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
打ち上げ日 2016年2月17日
失敗した日 2016年3月26日
総予算 約310億円
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用語解説

ひとみ(第26号科学衛星 ASTRO-H)

宇宙航空研究開発機構(JAXA)らによって開発されたX線天文衛星。2005年7月に打ち上げられたすざく(第23号科学衛星 ASTRO-EII)の後継機で、観測性能は10~100倍。2016年2月17日に世界の研究者の期待を乗せて打ち上げられるも約2ヶ月で異常回転による破損・分解でミッションを終了しました。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)

日本の航空宇宙開発政策を担う研究・開発機関[1]
この度、約8年の期間と総費用310億円をかけたプロジェクトが、運用開始日に破綻しました。

失敗は成功のもと

日本のことわざで、「失敗をしても、原因を突き止めて欠点を改善することで、成功に結びつけること」の意味。
しかし、今回のように「いい加減な仕事」をした結果の失敗は何の役にも立ちません。

はじめに

ひとみ(第26合科学衛星 ASTRO-H)は、JAXAが中心となって日本国内外の大学研究機関の協力のもと、地球大気圏外からX線観測装置を用いて「宇宙の成り立ちを調べる」「極限状態での物理法則を検証・解明する」ことを目的に開発・運用が進められました。しかし、打ち上げ約1ヶ月後のいよいよ本格的な観測を開始しようとした直後に不具合によって衛星自体が破壊・分解して観測不可能となり、短期間でミッションを終了することとなりました。

ひとみの目的

  • (1)銀河団の成長の直接観測

    10個程度の代表的な銀河団の運動エネルギーを測定し、銀河団の成長過程とエネルギー収支を解明。

  • (2)巨大ブラックホールの進化とその銀河形成に果たす役割

    遠巨大ブラックホールの候補天体を分光観測し、母銀河との関係を解明。

  • (3)ブラックホール極近傍での相対論的時空の構造の理解

    活動銀河中心の巨大ブラックホールの連続スペクトルを取得し、同時に輝線や吸収線を分光測定。

  • (4)重力や衝突・爆発のエネルギーが宇宙線を生み出す過程を解明

    若い超新星残骸を硬X線放射を測定し、電子のエネルギー分布を決定。
    かに星雲の1000分の1程度の強度でべき1.7を持つ巨大ブラックホールのスペクトルを600キロ電子ボルトまでの帯域で10個以上取得。

  • (5)ダークマターと暗黒エネルギーが宇宙の構造形成に果たした役割の探求

    (1)銀河団の成長の直接観測達成後、さらに10倍程度の天体の観測を行って約80億光年までの宇宙で銀河団内のダークマターの総質量を測定し、総質屋と銀河団数の関係を年代ごとに決定。

ひとみの観測装置

ひとみの観測装置の搭載位置

ひとみは、以下4種類の観測システムが同時に機能することで、3桁にもおよぶ広帯域において、「すざく」より10倍から100倍高感度の観測を実現して、最大限の科学的成果を引き出すことが可能となります。

軟X線分光観測

大面積かつ軽量な軟X線望遠鏡(SXT-S)と、50ミリ度という極低温技術によって超高分解能分光を実現する軟X線分光検出器(SXS)を組み合わせて、超精密X線分光を実現。

軟X線撮像観測

軟X線望遠鏡(SXT-I)と、大面積低雑音X線CCD素子を用いた軟X線撮像検出器(SXI)を組み合わせ、広い視野を持ち観測の基本となるX線撮像を実現。

硬X線撮像観測

国産ナノ技術を駆使し、世界に先駆けて開発した硬X線望遠鏡(HXT)と、ひとみをめざして開発した新しい高効率CdTe半導体素子に基づく硬X線撮像検出器(HXI)を組み合わせて、硬X線帯で初めての集光撮像を実現し、飛躍的な高感度を実現。

軟ガンマ線観測

独自のアイディアである狭視野半導体コンプトンカメラに基づいた超低雑音軟ガンマ線検出器(SGD)により、一桁以上の感度の向上と、ガンマ線偏光観測能力を実現。

ひとみの姿勢制御系

ひとみの姿勢制御系機器の搭載位置

スタートラッカ(STT)

星の位置をカメラで識別して、機体がどのような姿勢状態にあるのかを判断する装置。「待機モード(機能停止状態)」⇒「捕捉モード(星の位置から姿勢を判断する状態)」⇒「追尾モード(姿勢を保持して姿勢データを出力する状態)」に移行します[2]

磁気トルカ(MTQ)

電磁石と 地球磁場との作用を利用して、主として小型の人工衛星の姿勢制御を行う装置。人工衛星内部のコイルに電流を流して、コンピュータでの制御可能な電磁石を作り、地球磁場との作用で磁気モーメントを発生させ 、人工衛星にトルク(角加速度)を与える装置、およびそれによる姿勢制御を行うシステム[3]

リアクションホイール(RW)

ロケットやジェットを噴射せずに宇宙機の方向を変化させる姿勢制御装置の1つ。特に望遠鏡が特定の星を捉えるように保つ場合など、燃料を消費せずに宇宙機を回転させることが出来る[4]

粗太陽センサ(CSAS)

太陽の方向を検出することにより、衛星の姿勢角を求めるセンサ。粗太陽センサは広視野で簡単・確実に太陽方向を直接検出できることから、定常運用時の他に安全を確保する初期姿勢捕捉センサとしても使用されます[5]

慣性基準装置(IRU)

外部から電波による支援を得ることなく、搭載するセンサのみによって自らの位置や速度を算出する装置[6]

姿勢制御システム(RCS)スラスタ

複数のスラスターを噴射して、任意の方向に若干の推力を与えて、姿勢制御や軌道の微修正を行います[7][8]

事故の沿革

2008年10月プロジェクト発足

ASTRO-Hプロジェクト発足

JAXAプロジェクト移行審査を経てASTRO-Hプロジェクトチームが発足しました。
2016年2月17日打ち上げ成功

H-IIAロケットで打ち上げ

三菱重工業株式会社及び宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、種子島宇宙センターから2月17日17:45に、ひとみを搭載したH-IIAロケット30号機を打ち上げ、その約14分15秒後にロケットからひとみを正常に分離しました[9]
2016年2月28日不適切なパラメータ

EOB伸展時用の書き換えパラメータの送信

ひとみは伸展式光学ベンチ(EOB)を伸展後に質量特性が変わるため、重心位置と慣性モーメントのパラメータを送信して書き換えました。
2016年2月29日試験運用

クリティカル運用期間終了

ひとみはクリティカル運用期間(衛星がロケットから分離した後、最低限の運用ができるようにする期間)中に主に以下のことを行いました[10]

  • 冷却システムの立ち上げ
  • 軟X線分光検出器(SXS)の試験動作
  • 伸展式光学ベンチ(EOB)の伸展
2016年3月26日 3:22頃観測開始

姿勢変更運用を実施

ひとみを活動銀河核に向けるための姿勢変更運用を実施しました。
同日 4:10頃姿勢異常発生

スタートラッカの不具合により姿勢異常が発生

ひとみはスタートラッカ(STT)と慣性基準装置(IRU)によって姿勢を調整していますが、姿勢変更運用時にSTTが何らかの原因で追尾モードから捕捉モードに切り替わり(リセット)、IRUへの姿勢データ出力を途中で中断したため、IRUの誤差推定値が高止まり(=数値上は回転していると判断される状態)しました。
その結果、回転を止めようとする向きにリアクションホイール(RW)が作動してひとみを回転させるという姿勢異常が発生しました[11][12]
同日 ~10:00頃姿勢異常継続

姿勢異常を検知出来ずリアクションホイールの回転数増加

ひとみは、太陽への向きを基準として、姿勢異常を自動検知するために姿勢制御ソフトウェア(ACFS)を利用していますが、これはIRUの誤差推定値の異常値を想定していなかったため、姿勢異常が継続し、RWの回転数がさらに増加しました。
また、並行して磁気トルカによるRW角運動量のアンローディング処理が、姿勢異常のため正常に機能しませんでした。

アンローディング:磁気トルカ作動または姿勢制御用スラスタの微量噴射により、リアクションホイールの回転数を正常動作範囲内に調整する運用

同日 10:00頃~衛星異常回転

安全な状態に戻そうとした結果、ひとみに異常回転が発生

姿勢制御系は異常発生と判断し、ひとみを安全な状態とするためスラスタセーフホールドモード(RCS SH)に移行しましたが、先立って送信・書き換えたスラスタ制御パラメータが不適切であったため、異常なスラスタを噴射ししてひとみの回転が加速しました。

スラスタセーフホールドモード(RCS SH):観測を一時中断して、スラスタを噴射して機体を力学的に安定しつつ、発生電力を確保するために太陽に向けた姿勢に立て直す状態。

同日 10:37頃破断・分離

想定以上の回転のために分離

ひとみが想定以上に回転したため、構造的に弱い太陽電池パドル、伸展式光学ベンチ(EOB)などが破断・分離しました。
2016年4月20日、24日部分融解

2つの分離物体が大気圏再突入により融解

ひとみから分離した物体のうち2つが4月20日、24日にそれぞれ大気圏に再突入して大気圏中で燃え尽きました。
2016年4月28日事故確定

復旧断念、原因究明に専念

  • ひとみ全体は大きな角速度で回転
  • 太陽電池パドル両翼が破断し分離
  • EOBが破断し先端の観測機器と共に分離
  • バッテリ枯渇

上記を踏まえ、今後ひとみが機能回復することは期待できない状態にあると判断し、復旧に向けた活動は取りやめ、原因究明に専念することとしました。

事故の原因

宇宙開発利用部会 X線天文衛星「ひとみ」の異常事象に関する小委員会の報告により、本件事故原因が発表されました。

姿勢異常発生の原因

スタートラッカ(STT)のリセット発生

  • STTが不具合でリセットされた。
  • 姿勢制御にSTTリセット後の正しい数値を使わず、高止まりしたIRUの誤差推定値を優先していた。
  • 本事故が発生する前からSTTは地蝕時(視野内に地球が入る状態)や、星の数が少ない際に計19回、同様の事象が発生していた(3月26日移行に軌道上調整を行う予定をしていた)。
  • 姿勢変更運用を地球側からは長時間可視観測出来ないタイミングで実施した。

もし姿勢変更運用を地上から可視観測出来る状態で実施していれば、仮にスタートラッカの不具合で姿勢異常が発生したとしても、回転を停止することが出来た可能性がありました[13]

姿勢異常継続の原因

姿勢異常移行を未判断

  • 太陽角異常FDIR(故障検出)の判定を姿勢異常を粗太陽センサ(CSAS)ではなく、姿勢制御ソフトウェア(ACFS)を利用していたため、姿勢異常を検出出来なかった。
  • 姿勢異常時に磁気トルカによるRW角運動量のアンローディング処理が正常に働かなかった。
衛星異常回転の原因

不適切なパラメータを送信

  • パラメータ変更運用は、打ち上げ前に制定する運用計画書中には明確に記述されていなかった
  • どのパラメータをどの値に変更するか等、運用内容の詳細がJAXAと運用支援業者の双方で共有されていなかった
  • 運用支援業者の作業者がデータ入力を誤ったため、不適切なスラスタ制御パラメータが作成された。
  • 作業者は、パラメータ生成ツールの使用経験はあったが、本作業は初めてで、手順書も無く作業訓練も実施されないまま作業にあたっていた。
  • 生成したスラスタ制御パラメータを、担当者間で認識の齟齬があったため、シミュレーションで確認しなかった。
  • JAXAがスラスタ制御パラメータ変更の運用準備状況を確認せず、検証の漏れに気づかないまま、その運用の実施を指示した。
まとめ

各フェース毎の課題と背後要因

設計フェーズの課題

  • 安全性を含めたシステムとしてのバランス欠如
  • 設計段階での検討不足
  • 設計審査会等での懸念事項を網羅的管理不十分

設計フェーズの背後要因

  1. プロジェクトチーム体制における不明確さ
  2. 役割分担と責任関係が不明確
  3. 第三者による確認の仕組みや手法が不十分

製造・試験フェーズの課題

  • 特に問題なし

運用フェーズの課題

  • 初期運用段階でのリスクの評価が不十分
  • 運用準備に対する重要性を過小評価し、計画書や手順書の整備、運用訓練が不十分

運用フェーズの背後要因

  1. 安全に運用する意識不足、及び体制不備
  2. 確実に運用するための基本動作が出来ていなかった
  3. 運用よりも開発が優先され、運用準備が後回しにされた

今後の対策

(1)ISAS(宇宙科学研究所)プロジェクトマネジメント体制の見直し

  • プロジェクトの関連規則、規程類への準拠徹底し、プロジェクトスタート前に再教育実施
  • プロジェクト管理に責任を持つPM(Project Manager)とサイエンス成果の創出に責任を持つPI(Principal Investigator)は就任要件を明確化
  • PMなど枢要なプロジェクト要員を専任化

(2)ISASと企業との役割・責任分担の見直し

設計・製造フェーズ

  • ISASと設計・製造の関係企業との役割分担及び責任関係を明確化
  • 科学要求立案・先導的技術開発・最先端センサ研究開発等に注力
  • 宇宙機システム全体の設計・製造を一元的に実施

運用フェーズ

  • ISASと企業との役割分担及び責任関係を明確化

(3)ISASプロジェクト業務の文書化と品質記録の徹底

1)プロジェクト推進に関わる重要事項の文書化

  • ISASから企業に提示する要求文書体系(例えば技術仕様書等)を抜本的に見直し
  • プロジェクト内容の重要事項の変更、重要事象の発生とその対処等を根拠を含めて、重要な出来事についての文章化

2)品質記録の徹底

  • ISASと企業間で管理の役割分担を明確にし、各々が品質記録を徹底
  • プロジェクト管理者らは、品質記録をもとに、品質水準を確認

3)運用計画

  • 設計フェーズから運用フェーズへの申し送り事項の文章化を徹底

(4)ISAS審査/独立評価の運用の見直し

  • 審査会を充実
  • 打上げ前の運用準備を確認するISAS審査を第三者の視点を入れて徹底
  • 独立評価の体制強化

天文学の研究者

日本国内で天文学について研究をしている研究者一覧です。

編集後記

本プロジェクトの失敗は、宇宙科学研究所所長の常田佐久氏が述べるように、「当たり前のことができていなかった」の一言に尽きます。科学に失敗は付きものとは言え、本プロジェクトで許容される失敗は「新型エンジンによるロケット発射の失敗」だとか「X線観測装置の一部が正常に機能しなかった」等であり、衛星本体の姿勢制御という基本操作(ましてや管理運営、検証作業を疎かにした)での失敗は許されるものではありません。
JAXAは宇宙ステーション補給機「こうのとり」によって、ISSへの安全で正確な物資運搬を担っており、非常に大きな功績を残しています。既に動き始めているひとみの後継機開発についても、二度とこのような過ちを繰り返さぬように願ってやみません。

参考

X線天文衛星「ASTRO-H」プレスキット

ダウンロード先

宇宙は冷たく静穏に見えますが、 X線を用いると、爆発・衝突・突発現象など、激動に満ちた熱い姿が見えてきます。こうしたX線での宇田観測を飛躍的に進めるべく、日本がNASAや世界各国の協力をえて開発した新世代のX線天文衛星がASTRO-Hです。そこに搭載される最先端の装置「X線マイク口力口リメータ」は、宇宙からのX線を世界最高の分光性能で観測します。また同時に搭載される3種類の検出器は、軟X線から軟ガンマ線までの広い波長帯域で、高感度を実現します。ASTRO-H はこれらの新機能を駆使し、暗黒エネルギーや暗黒物質(ダークマター)の支配のもとで「見える物質」が宇宙最大の天体である銀河団を作ってきた過程や、多数の銀河の中心に君臨する巨大ブラックホールの生い立ちに切り込み、また中性子星やブ、ラックホールにおける極限状態での物理法則を探ります。

X線天文衛星ASTRO‐H「ひとみ」 異常事象調査報告書

形式プレスリリース
発行者宇宙航空研究開発機構(JAXA)
公開日2016年6月14日

ダウンロード先

6月14日(火)に開催された宇宙開発利用部会(文部科学省 科学技術・学術審議会)において、宇宙開発利用部会X線天文衛星「ひとみ」の異常事象に関する小委員会から、下記のとおり報告されました。JAXA | X線天文衛星「ひとみ」の異常に関する小委員会の検証結果について


引用

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