『阿呆』と『馬鹿』の語源 -後世にまで語り継がれる皇帝殺しの悪臣


概要

何故「馬」と「鹿」と書いて「馬鹿」と読むのか。それは遡ること秦の始皇帝の次の皇帝・胡亥の時、横暴を極め栄華をものにしようとした結果、再び中国全土を戦火に巻き込むまでに至った悪臣の物語がそこにありました。

分野 史記由来の成語
関係者 趙高, 胡亥
時代 紀元前212年
場所
目次 [表示 / 非表示]

用語解説

趙高ちょうこう

秦の始皇帝から次の皇帝胡亥にまで使えた宦官(後に丞相)。始皇帝が巡遊中に病死するやいなや、遺言を破棄して皇太子を自死に追いやり、教育係として仕えていた胡亥を即位させ、国の実権を握り暴虐の限りを尽くした後世にまで語り継がれる悪臣。

胡亥こがい

始皇帝の末子で、趙高によって即位した秦の2代目の皇帝(傀儡)。政治の表舞台には一切出ず、全てを趙高に任せた結果、国中の反乱にも気づかず、最終的にはその趙高に殺されるという運命を辿ります。

阿房宮あぼうきゅう

秦の始皇帝の代から建築が始まった大宮殿。その前殿は東西約675m、南北約112mと広大で、2階には1万人が座ることが出来たと言われています[1]

馬?

一見「鹿」に見えますが、「馬」でございます。間違いございません。なので処刑は勘弁してください。

はじめに

秦の始皇帝が中国全土を統一し、ようやく中国全土から戦火は潰えた一方、始皇帝の巡遊の為の巨大な道路整備、壮大な宮殿建築、万里の長城などの大規模な工事に駆り出され、厳格な法律遵守の元に民の疲弊と怨嗟の声は増して行くばかりでした。
そんな折、5度目の巡遊中に急死した始皇帝の後継を巡り、始皇帝に厚遇されていた宦官の趙高は自身が教育係として仕えていた末の皇子・胡亥を次の皇帝として即位させるために、丞相である李斯と共謀して皇太子を自死に追い込み、一族を粛清しました。

あらすじ

大宮殿建築

胡亥は阿房宮建築を再開

2世皇帝となった胡亥は、始皇帝の死によって中断していた阿房宮の建築を再開しました。この大規模な工事には国中から人夫が集められ、その数は累計数百万人にまで及びました。
この他に、胡亥は軍備増強の為に、周囲の農民を酷使し重税を課し、ついには各地で反乱の狼煙が現れ始めました。
趙高はこれを胡亥の耳に入れないようにして鎮圧を図るも、戦況は徐々に悪化していきました。
いよいよ危ないと思った趙高は責任を丞相である李斯になすりつけ、一族まとめて粛清し、自身は丞相の位にまで登り詰めました。
趙高の野心

趙高は国の乗っ取りを企てました。

李斯一族を粛清した趙高は丞相となりましたが、その野心はますます増長し、とうとう秦の国を乗っ取るクーデーターを計画していました。
趙高の画策

趙高は誰が自分の味方になるか一計を案じました。

しかし、この企みが成功するかどうか確信が持てなかった趙高は、身辺にどれだけの味方がいるのかを調べるために一計を案じることにしました。
鹿を持って馬とする

趙高は「鹿」を使って自分に従う者を選別しました。

趙高は、胡亥の前に鹿を献上して、「馬でございます」と言いました。
胡亥は側近達に「鹿を馬と言うとは、丞相はどうかしている」と笑って話しかけましたが、側近達は、押し黙る者、趙高を恐れて「馬でございます」と言う者、正直に「鹿でございます」と答える者と三者三様でした。
粛清の始まり

趙高は従わぬ者を処刑しました。

その後、趙高は正直に「鹿」と答えた者たちを自分に仇なすとして、あらぬ罪をかぶせて処刑しました。
こうして、秦国内では誰も趙高には逆らわないようになりました。

まとめ

その後、阿房宮は攻め込んできた項羽軍によって焼き払われ、その火は3ヶ月間鎮火することが無かったと言います。このような人々の怨嗟の元となり、国が疲弊していく原因ともなった阿房宮が転じて、愚かなさま、行動を「阿呆[2]と言うようになりました。
また、権力者が自身の権威を盾に、「鹿」を「馬」と言わせるような矛盾を無理やり押し通すことを、転じて道理・常識からはずれていることを「馬鹿[3]と言うようになりました。

『阿呆』と『馬鹿』それぞれ語源には諸説あります。また、最近の研究では、阿房宮は燃やされていないとも言われています。

付録

史記 秦始皇本紀

三十五年、除道、道九原抵雲陽、塹山堙谷、直通之。於是始皇以為咸陽人多、先王之宮廷小、吾聞、周文王都豐、武王都鎬、豐・鎬之間、帝王之都也。乃營作朝宮渭南上林苑中、先作前殿阿房。東西五百步、南北五十丈、上可以坐萬人、下可以建五丈旗。周馳為閣道、自殿下直抵南山、表南山之顛以為闕。為復道、自阿房渡渭、屬之咸陽、以象天極閣道絕漢抵營室也。阿房宮未成、成欲更擇令名名之。作宮阿房、故天下謂之阿房宮。隱宮徒刑者七十餘萬人、乃分作阿房宮、或作麗山。發北山石槨、乃寫蜀・荊地材、皆至。關中計宮三百、關外四百餘。於是立石東海上朐界中、以為秦東門。因徙三萬家麗邑、五萬家雲陽、皆復不事十歲。

史記 秦始皇本紀

八月己亥、趙高欲為亂、恐群臣不聽、乃先設驗、持鹿獻於二世曰、馬也。二世笑曰、丞相誤邪。謂鹿為馬。問左右。左右或默、或言馬、以阿順趙高。或言鹿。高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高。

史記 項羽本紀

居數日、項羽引兵西、屠咸陽、殺秦降王子嬰、燒秦宮室。火三月不滅。收其貨寶婦女而東。人或說項王曰、關中阻山河四塞、地肥饒。可都以霸。項王見秦宮皆以燒殘破、又心懷思欲東歸。曰、富貴不歸故鄉、如衣繡夜行。誰知之者。說者曰、人言楚人沐猴而冠耳。果然。項王聞之、烹說者。

編集後記

この後、趙高は胡亥を死に追いやりますが、その後即位した子嬰(自死に追いやられた始皇帝の皇太子の息子)によって一族もろとも殺害されました。さらに子嬰もその後、攻め込んできた項羽によって同様に一族もろとも処刑されることになりました。もしも順当に皇太子が2世皇帝に即位していたら、李斯が趙高を諌め追放していれば秦の時代はその後も続き、当時の人口を半減するにまで至った楚漢戦争も起こらなかったかもしれないと思えば、やはり「馬鹿」で「阿呆」なことでした。

参考

史記 三 独裁の虚実

形式文庫
著者司馬遷
翻訳丸山松幸, 守屋洋
出版日2016年8月5日
出版社徳間書店
価格1,350円

購入先

わかりやすい訳文で歴史の流れをつかみながら人物に親しめ、原文・読み下し文の照合が簡単。ポケットに入る『史記』の決定版。出生の秘密に悩む若き秦王は憑かれたように六国を滅ぼし、始皇帝となる。秦帝国の成立と滅亡を、人間始皇帝の一生を通して描く。十三歳で王位につき、二十歳になるやわずか十年の間に天下統一を果たす。その数奇な出生の秘密から秦帝国滅亡まで、独裁の虚実を鮮やかに示した激動の五十年余。史記 三 | 徳間書店

史記 5

形式漫画
著者横山光輝
出版日2001年7月17日
出版社小学館
価格700円

購入先

●本巻の特徴/絶大な権力 を誇り、長大な万里の長城を築き上げた秦の始皇帝。だが、その死は突然やってきた …。権力者の限りない栄光と孤独を描いた「始皇帝」ほか、全7話を収録。史記 5 | 小学館

史記 6

形式漫画
著者横山光輝
出版日2001年7月17日
出版社小学館
価格679円

購入先

始皇帝の死 後、2代目の皇帝となった胡亥は政治に関心を示さず、国政は希代の悪宦官・趙高の 思うままとなっていた。趙高の悪政に人々の不満は、日々高まっていた。そんな中、 ある辺境の守りに徴用された農民たちが目的地に向かう途中、悪天候のため立ち往生 していた。このままでは、どうやっても期日までに目的地へは到着できそうにない。 決められた期日までに赴任地に到着しなくては、秦の厳しい法律では死刑。そこで、 どうせ死ぬのならと謀反を企てた大胆不敵な男がいた。その男・陳勝は、親友の呉広 とともに策を錬り、まず自分達を引率していた官吏を殺し、秦の打倒・楚の復興を目 的にして反乱の烽火をあげた…(第28話)。史記 6 | 小学館


こちらもおススメです

コメント

あなたのメールアドレスは公開されません。